すいの読書ノート

読書ノート、感想置き場

京極堂シリーズ読み始めた 「姑獲鳥の夏」ネタバレあり感想

ネタバレあり!

 

 

 

 

元々ミステリーが好きでよく読んでいた中で、おすすめを調べると必ずと言っていいほど京極堂シリーズが入っていた。そのたびにあらすじと内容的に「自分には合わないかな~」とスルーしていた。しかし最近民族的な話に興味が出たので「よし読んでみるか」と重い腰を上げてApple Booksの電子書籍を買った。電子書籍は思い立ったらすぐ買えるところが非常に良い。読むことに躊躇していた理由の一つにシリーズ一作目が1994年に刊行されていることで、少し古いのではないかと感じてしまっていたことがある。ただこのシリーズが2019年にも出ているとのことで最近まで続いているのかとさらに気になった。

 

軽くシリーズを調べてみたところどのサイトや感想のレビューでも最初から読むことを勧めているので、素直に「姑獲鳥の夏」を買った。考察などの難しいことはわからないので素直な感想を書こうと思う。

 

 

姑獲鳥の夏電子書籍の最初からなんか凝ったシリーズの案内があって少しテンションが上がった。最初にうぶめの紹介や妖怪の絵などがあって「この演出好き~!!」となった。もっと早くに読めばよかった。とりあえずシリーズの名前にもなっている京極堂はすぐに出てきた。ははあこれが京極堂なのかと読んでいった。

現代社会の文体?書き方?に普段多く触れているが、この小説のように漢字がたくさん使われている文の方がとても落ち着く。戦後10年から20年ほどたった頃が舞台らしいので雰囲気を出すためかもしれないが最近の文はカタカナだったり平仮名が多いと思っていたので余計に落ち着くと感じた。未だに中二病から回復していないので、難しい漢字はそれだけで何となくかっこいいと思ってしまう心が残っているから、なのかもしれないが。

30ページあたりから宗教や口碑伝承の話が出てきた。昔の私なら楽しめなかった部分だと自分の成長を感じた。難しい知識でぶん殴られる感じはとてもよかった。本を読むときの幸せはこれなのかもしれない。自分の知らなかった世界や界隈に興味が出てくる感じは何とも表せない喜びだと思う。「へえー知識がすごいなあ」と読みながら次は宗教についての本を読もうか、次のシリーズにしようかと読み進めているときが楽しい。

 

詠み進めていくとこのシリーズのワトソン的立ち位置(だと思っている)関口君が精神が弱いことがしっかりと伝わってくる。ここら辺の描写もすごい。『関口君は精神が弱い』と簡単にまとめてしまえる内容なのだが、まとめてあるだけあって説得感や納得感は薄い。これを関口君の目線で地の文が綴られていることによって説得感と納得感やリアリティがこれでもかと主張してくる。今にして思えばこれが伏線かと書いていてやっと気づいた。振り返ることでわかる伏線すごい好き。序盤あたりでこの作品の話題の中心となる事件の当事者が京極堂と関口君の知り合いだとわかる。

 

榎木津という探偵も出てきた。軽く調べた時にシリーズの主要人物だと知った。榎木津君はとても綺麗らしい描写が多く出てくる。文にある描写からどんな顔なんだろうと想像している時も楽しい。榎木津君は私の想像の中ではアニメ的な描写がされている。関口君はいらすとやの猿だ。作中で猿と呼ばれているたびにいらすとやの様々な種類の猿が脳裏によぎって面白い。京極堂はいまだにぐるぐるとイメージが変わってそれもまた楽しい。榎木津君は人には見えないものが見えるらしいが作中の説明ではよくわからなかった。共感覚の一種なのだろうか。世の中には数字に色がついて立体的に見えたり、音楽が聞こえてくる人がいると聞く。榎木津君もそれの一種なのか、それとも本当にSF(すこしふしぎ)な能力なのだろうか。もしかしたら本文で言及されていたかもしれないが、私ははっきりと区別されていなかったように感じた。特殊な能力だったとしたら少しファンタジーっぽくなってしまうと思うが、この能力によって毎回の事件の不思議感だったり現実にありえない感じが肯定されるのだろうか。ファンタジーによってファンタジーが補強されるというのは面白い。実際にはまやかしや魔法などではなく説明がつくことであると解説されるが榎木津君の存在によってもしかしたら…と思える。のかな?

 

 

まあなんだかんだあって「憑き物落とし」が行われると同時にトリックや事件について解決する。一番すっきりする場面だ。当事者というか被害者である関口君の先輩は頭がおかしい人であったことが判明する。京極堂、関口君、榎木津君と見てきた私は「ああやっぱり変人の知り合いは変人なんだ」と納得した。こんだけの変人に囲まれていたんならそりゃそうかと思う。別に犯罪でもないから変人の枠に入る程度だと思う。トリック自体は「うーん成立するようなしないような、でも別に矛盾はしてないし」と微妙な気分になった。いやさすがに誰か気づいたり使用人の人が言っちゃわない?と思うがそこがミソなのかもしれない。でも死体が腐敗しないから次第にオブジェのように見えてくるのかもしれない。このもやもや感も含めて面白かった。集団で見えない、ということもそこまでの知識がないからそう思うだけなのかもしれない。少し前に海外ドラマの「クリミナルマインド」を見た時に脳の機能によっていない者が見えたりすることを知ったので、ならば逆に見えないこともあるのだろうと思う。しかし部屋に入った三人が三人とも見えないなんてすごい偶然だと思う。宝くじの一等に3回連続で当たるくらいすごいことなのではないかと思う。

ここで終わりかと思ったら、まだあった!終わってしまったと思っていることがまだ残っていると嬉しくなる。

あらゆる伏線が回収されて点と点が繋がる感じは楽しい。そのすっきり感が好きでミステリーをよく読んでしまう。姑獲鳥も母も伏線だった。涼子さんが少しかわいそうになった。一つ一つが積み重なってこの事件が起きたんだと一つだけの要因でないことがリアルに感じられてよかった。起こるべくして起こってしまった事件だったし、一つをどうにかすれば助かったのにということもない。何ともみんなかわいそうな事件だった。

 

結果的に次の「魍魎の箱」も続けて読んでしまったし、次の日には「狂骨の夢」も読んだ。読むのが楽しいシリーズができてよかった。シリーズ物はでかいアイスクリームのように、確実に美味しいと思えるものが沢山あってワクワクする。でかいアイスクリームを食べる時のように、まだある、まだ沢山美味しいアイスが残っていると思いながら次の日になる感じがたまらない。

 

ちゃんと読んだ本を感想に表すことはしてこなかったのでもっと文をうまく書けるようになりたいと思いつつ読書ノートのようにしていきたい。

 

 

 

 

 

京極堂シリーズはずっと電子書籍で買っていたのだが先日ふと本屋に立ち寄った際に気になって見てみた。「鉄鼠の檻」が分厚すぎて二度見した。むしろ読みづらくなっているのではないかと思うが、どうなんだろう。「鉄鼠の檻」だけは分割してあるものか電子書籍の方が読みやすいのではないかと思う。一つにまとまっているものが「鉄鼠の檻」までしかなかったのだが他にも同じかそれ以上の本があるのだろうか。大型書店に行った際には確認してみたい。